正直言ってあまり人には話したくないことなのですが、 あなたと信頼関係を築きたいので、全てをお話しします。
ところで、あなたは小さい頃どんな子供でしたか?
実は私は「外に出かけるのが大嫌いな子供」でした。
たいてい子供は、お出かけが大好きなものです。
それなのに、外に出かけるのが大嫌いな子供だったなんて、
おかしいですよね。
私が外に出たくなかったのには、理由がありました。
その理由をお話しする前に、
まずは、ごあいさつをさせてください。
こんにちは、「株式会社ドライバーの彼女」代表の高橋久美子です。
本日は、数え切れないほどのネットショップの中から、ここに訪れていただいて、ありがとうございます。
「株式会社ドライバーの彼女」は、毎日ハードな仕事をがんばるドライバーを、 ヒーローにすることを使命としています。 そして、あなたが安全に、しかも快適に配送業務ができるように支援をしています。
ところで、あなたは、ネットで買い物をしたり、個人情報を入力するとき、
次のような理由で、少し不安な気持ちになる事があるのではないかと思います。
「この業者は信用できるのか?」「自分の情報を悪用されたりしないか?」
「いったい、どんな人間が社長なのか?」考え始めると、
いろんな心配ごとがあると思います。
ですから、少しでもあなたに不安な気持ちを解消してもらえるように、 社長の私がどんな人間なのか、そして、どうしてこの会社を始めたのかを、 思い切って、お話しすることにしたのです。
笑わない子供
ちょっと昔の話になりますが、少しだけ聞いてください。
私は、子供のころ、外に出かけるのが、とても嫌でした。 遊び盛りの子供が外に出るのが嫌だなんて、ちょっと変ですよね。 もう少し正確に言うと、「外に出かけること」というよりも、 「外でよその人に会うこと」が、とても嫌だったのです。
外に出ると、バスや電車などの乗り物に乗っていても、 道を歩いていても、当然ですが、外ではいろいろな人に会います。 男の人、女の人、年をとった人、やせている人、いろんな人に会いますよね。
そのいろいろな人の視線は、必ず私の足に向いていました。 いえ、本当は、そんなことはなかったのかもしれません。 でも私は、いつもそう感じていました。 バスの中でも、電車の中でも、デパートでも、道をただ歩いていても、 他人が私の足を横目で見ていく視線を、いつも感じていました。
なぜなら、私は他人に注目されるような、「変わった靴」を履いていたからです。 その靴は、見た目が変わっているだけではなく、一歩一歩歩くたびに、 「ガチャンガチャン」と、鉄の金具がぶつかる、大きな金属音がしました。 まるでテレビのマンガのロボットが歩くときみたいに、 一歩ごとに「ガチャン、ガチャン」と、大きな音がしたのです。
「ガチャンガチャン」と音がする靴
ですから、最初は変わった形の靴に気付かずにいた人でも、その大きな音がすると、 どうしても私の履いている靴に、目がいったのだと思います。 その「変わった靴」というのは、矯正靴というものです。
私は小学校に入学するまで、家や幼稚園の中でも、外へ出るときでも、 必ずこの矯正靴を履いていなければなりませんでした。
なぜなら、私は先天性内反足症という病気で、生まれたときから、
足の形が大きく曲がっていたからです。床にかかとをつけることができないような形だったので、
そのままでは歩くことができないため、2歳のときに、かかとの形を直す手術をしたのです。
両足の裏側のアキレス腱のところを、縦に15センチくらいづつ切開して、
中の曲がっている筋を、先生の手でまっすぐに治す手術です。
家の中でも、外でも、常に矯正靴を履いていました
これが、「矯正靴」という靴です。
その手術のあと、きちんと歩けるようになるまでの数年間、足の形を固定するために、
常に、この矯正靴を履いていなければならなかったというわけです。
大きな手術跡は残ってしまったものの、この靴のおかげで、
今ではヒールの高い靴でなければ履くことができますし、何より、歩いたり走ったりできるようになりました。
しかし子供の頃は、その矯正靴を常に履いていなければならない事が、本当に、苦痛でした。
その矯正靴は、歩くたびに「ガチャンガチャン」と音がするだけでなく、靴そのものの重さも、
子供の私にとっては、ずっしりととても重たい靴でした。
「ガチャンガチャン」という音を聞くたびに、そして、すれ違う大人と目が合うたびに、 私はいやな気分になりました。「かわいそうな子」と、同情のまなざしで見られているような気もしました。
「その靴、何?」と、単に不思議そうに好奇の目で見られているような気もしました。
出かけるたびに、そんな周りの目がとても気になっていました。
ですから、子供なのに外に出かけることが、そして人に会うことが大嫌いだったというわけです。
トラックが運んできてくれたもの
そんなある日、家に父の友達が遊びにきました。 そのおじちゃんは、大きなトラックに乗ってやってきました。 見たこともない大きな車に、私はとても興味を持ちました。 あまりにも気にいってしまった私の様子を見て、おじちゃんは、 助手席に私を乗せて、ドライブに連れていってくれることになりました。
ドライブといっても、近所をぐるりと回るくらいの、短い時間だったと思います。 今思うと、大型ではなく、3トン車くらいのトラックだったのではないかと思います。 また、キャビンの内装がかなり派手だったような記憶があるので、そのおじちゃんは、 持ち込みのドライバーさんだったのだと思います。
しかし、大型ではないとはいっても、私にとってはびっくりするような大きさでした。 助手席の窓から外を見たときも、とても高いところから外を見下ろしているように感じました。 まるでジャングルジムのてっぺんに上って、そのまま走ってるような爽快感でした。 おでこに当たる風も、本当に気持ちよくて、窓からあまりに身を乗り出すので、 「危ないよ」とおじちゃんに注意されたことを覚えています。
子供らしい笑顔を取り戻した理由
私は助手席の窓から身を乗り出して、外の景色や歩いている人たちを見下ろしました。 今まで外に出たときは、なるべく下を向くようにしていたので、歩いている人の顔や、 街のようすを、こんなにきょろきょろ見たのは初めてでした。 まるで初めて外に出た人のように、きょろきょろしていたと思います。
この場所からは、私がみんなの顔をじっくり見ることができます。 そして、誰も私の靴を見ることはできません。 ですから私は、大きなトラックに、優しく守られているような気がしました。
当時私は、5歳くらいだったと思います。 しかし、この時トラックの助手席で感じた安心した気持ちと爽快感は、 今でもはっきりと覚えています。
この日をきっかけに、私は少しずつ、外に出かけるのが楽しいと思うようになったのです。 そして、トラックと、トラックドライバーが大好きになりました。 そんな私は大人になってから、創業したばかりの小さな運送会社で仕事をするようになりました。
大きなトラックを見ると、なんとなく昔の記憶が思い出されて、ほっとしました。
しかし、私が目の当たりにしたものは・・・
ところが、私はそこで、ドライバーの過酷な労働の現実を初めて知ることになりました。 荷捌き場では、疲れたドライバーさんが、立ったまま柱に寄りかかって眠っていました。 着時間指定に間に合いそうにないからと言って、トラックにもぐってリミッター解除をしているドライバーさんもいました。 真夏の炎天下で、大型満載の荷物を一人で手積みするドライバーさんもいました。 そのドライバーさんの着ていた黒いTシャツは、背中から吹き出る塩で、上半分が真っ白になっていました。
また、2週間に一度しか自宅に帰れないドライバーさんは、大型のトラックでも駐車できる日帰り温泉を探せずに、洗車場の水道でタオルを絞って体を拭いていました。
本当に、外からは想像もしていなかった、信じられない過酷な状況を、たくさん知りました。そして、その過酷な状況が引き起こす、悲惨な事故も身近に見聞きしました。
子供の頃のあの日、トラックと出会わなければ、私はずっと外の世界が嫌いなままだったかもしれません。 外の世界が楽しいということを、知らずに大人になってしまったかもしれません。
しかし、トラックと、トラックドライバーさんに出会ったことで、 子供らしい笑顔を取り戻させてもらったと思っています。本当に感謝しています。 ですから、運送会社で現場の過酷な状況を知るうちに、少しでもドライバーさんに、 あの日の恩返しができないだろうかと考えるようになったのです。
労働環境の改善なんて、無理な話・・・
それから私は、ドライバーの労働条件を改善する方法を模索し始めました。 私は、経理事務員として運送会社に勤務していたのですが、少しでもドライバーにとってよい条件の仕事をとりたいと思い、 営業にも出るようになりました。できるだけ、時間指定に余裕がある便。 できるだけ、積み下ろし件数が少ない便。なおかつ、料金がいい便を受けられないかと、 営業エリアを歩きまわりました。1日に100件以上の荷主企業を、訪問した日もあります。
営業廻りには、歩きやすいスニーカーを履いて回りましが、 それでも私の足は1時間も歩くと足の側面や足の裏などあちこちに水ぶくれができてしまいます。 スニーカーの中では水ぶくれが破れて、ズキズキ痛みました。何度も靴下を履き替えながら回りました。 それでも、営業経験もない私には、条件のいい仕事どころか、普通の仕事の契約をとってくることさえできませんでした。 これでは、いつまでたっても、いい仕事なんてとれない・・・。
そう思った私は、今度は営業の勉強を始めました。 毎日書店に行き「営業」とタイトルのついた本を、片っ端から読みあさり、 実践できるものはすぐに取り入れていきました。
この時期、100冊以上の営業本を読みました。営業の勉強をし始めると、少しずつではありますが、 仕事がとれるようになってきました。しかし、まだ、「条件のいい仕事」と思えるようなものは、なかなかとれません。 どちらかというと、下請け仕事が多く、「料金を落としてくれるなら、ふってあげるよ。」と言われることが多かったのです。
仕事はとれるようになってきた。でも、このままじゃあ、「ドライバーの働く環境を改善する」なんて、とうてい無理じゃないか。 何度もあきらめそうになりましたが、私は更に勉強を続けました。
営業の勉強のみならず、マーケティングについての勉強も始めました。 教材を買ったり、セミナーに出たり、自分の給料の8割以上を投資して、勉強をしました。 勉強したことを、何度も実践で繰り返していくうちに、マーケティングの手法が身についてきました。 そして、徐々に「多少高くてもいいから、おたくにお願いしたいんだけど」と、お客さまに言ってもらえるようになってきたのです。
当初に比べると、1.5倍くらいの料金で、仕事を受けられるようになっていました。 引き受ける便の内容も、件数、着時間指定など、余裕がある条件になりました。 便の内容に時間に余裕があるので、「連続運転をしないこと」「お昼は必ず1時間休憩すること」 「法定速度厳守」「ごはんを食べた後は、しっかり休憩すること」などをドライバーに徹底することができるようになったのです。
気が付いてみると、事務員で入社した私は、運送会社の取締役になっていました。 車両も毎年増車し、条件のいい仕事が継続的に受けられるようになりました。しかし・・・
現実の、ドライバーの労働環境は・・・?
『ドライバーの過酷な労働状況を改善したい』という気持ちから、今までがんばってきました。 自分の運送会社の中では、ある程度改善できてきたかもしれません。 しかし、連日テレビのニュースで、トラック事故の報道がなかったことはありません。 世の中のドライバーを取り巻く状況は、全く変わっていないのでは?いや、むしろ、悪くなっているような気さえします。
もっと多くのドライバーさんに、あの日の恩返しがしたい。 私は、そう強く思うようになっていました。
そうは言っても、物流業界の労働条件を改善するとか、そんな大きな力は、 私にはないかもしれません。だったら、直接業務と関わるところではなく、 別の角度からあなたの支援をしていこうそう決意しました。 そして、その思いを形にするために、株式会社ドライバーの彼女を立ち上げたのです。
ただし、言葉だけではなく、本当に安全や快適を支援するためには、 たとえあなたが望むことであっても、お断りしなければならない事もあります。 それを、3つの約束として、あなたに約束します。
あなたへの恩返し
『ドライバーの労働環境の改善』というのは、とても大きなテーマです。 今後、安全運転の呼びかけをはじめ様々なイベントも実施していきます。 ここでは、ネット販売だけでなく、ドライバーの労働環境改善の一環として 行うイベントなどのご紹介もしていきます。
ここに立ち寄ったら、ぜひ元気を満タンチャージしていってください。 ネット上のかかわりではありますが、あなたが安全に、そして快適に配送業務ができるように、精一杯支援します。 それは小さい頃に引きこもりだった私を、明るい世界に連れ出してくれたトラックと、トラックドライバーさんへの、私からの恩返しです。
株式会社ドライバーの彼女 ドライバーの彼女代表 高橋久美子